ビートたけしは1994年(平成6年)8月2日午前1時40分、
原付バイクで東京都新宿区の安鎮坂付近を走行中に自損事故を起こして重傷を負った。
事故現場
JR信濃町で降りて、権田原の交差点を四谷方面に行く。
東京都新宿区元南町13の通称「安鎮坂」というところ。
【安鎮坂】
【都道414号線】
事故後は東京医科大学病院に救急搬送されて一命を取り留めたものの、長期の入院などにより約半年間に渡ってテレビ出演が出来なくなった。
1994年「八月二日一時三十七分、新宿区南元町の都道でミニバイクを運転中のテレビタレントのビートたけし(四十七歳)は、右カーブを曲がりきれず、道 路左脇のガードレールに接触転倒し、新宿区の東京医大病院に運ばれたが、右側頭部頭蓋骨陥没骨折、脳挫傷、右頬骨複雑骨折で長期入院が加療が必要と診断さ れ、面会謝絶の状態」
深夜、たけし軍団メンバーと別れ、購入したばかりの原付バイクに酒気帯び状態で跨り、愛人宅へ向かう途中の事故でした。
対向車との接触などではなく、運転 ミスによりスッ転がったものです。
たけしは意識不明の重体となって生死の境を彷徨い、病院でようやく意識を取り戻した時には、事故前後数時間の記憶は失わ れていました。
事故後
事故は酒気帯び運転によるものであったために書類送検され、起訴猶予処分を受けた。
【事故後、退院時の記者会見】
退院時、暫くは顔面の半分が麻痺した状態であった。リハビリにより回復したが、退院会見では「頭にボルトが入っていて飛行機の金属探知機に引っかかる」「顔面麻痺が治らなかったら芸名を顔面マヒナスターズにします」と、自らの怪我をネタにした。
【ビートたけしが1994年、飲酒運転でバイク事故を起こし、生死をさまよった時の“第1発見者”が、当時、人気絶頂のアイドルグループ「光GENJI」の諸星和己だった】
ロケの移動中、事故現場を見ながら、たけしは「実はあんまり覚えてねぇんだよなぁ、どこで事故ったかは。でも、そういえば、オレのことを諸星が見つけてくれたんだよな、たしか」と話したという。諸星が血だらけのたけしを見つけ、通報した。
北野武の自殺願望
あの時の、バイク事故――
「自殺願望があったのですか?」と蓮實重彦さん。
「記憶がない。現場の血を見てぞっとした。『自殺したんだな』と思った。下手したらもう1回するような気がする。一番のファンは一番足を引っ張ろうとする。その人が落ちていく様を見たがっているものだと事故の時に痛感した」
「いつも不安で不安で仕方がない。おれほど憶病者はいない。開き直らないとむちゃできない」と言い、お笑いの仕事については「どこか売春婦的な心でやっている」
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