1997年8月31日 ダイアナ元妃 急逝
フランスの首都のパリで、当時の恋人大富豪のドディ・アルファイドとともにパパラッチに追跡された果てに、乗車したパリのリッツ・ホテルのメルセデスベンツS280のハイヤーがパリ市内のトンネル内で交通事故を起こし急逝。
36歳という若さであった。
事故に至るまでの経緯
【移動ルート】
ホテルリッツ→コンコルド広場→アルマ橋トンネル(事故現場)
【8/31】
ヴァンドーム広場にあるリッツホテル。
ドディ・アルファイド氏とダイアナ元妃が最後の食事をした。
▽午前12時前
ドディ・アルファイド氏の自家用ベンツ600が取材陣の注意をそらす為におとりとなってホテル正面を出発。
※画像は同型のMercedes-Benz S-600
▽数分後
その隙にダイアナ妃を乗せたリッツ・ホテルのメルセデスベンツS280のハイヤーが出発。
※画像はイメージです。
イギリスの事故の査問委員会が公式に公開したハイヤーに乗るダイアナ元妃たちの写真。
《座席配置》
運転席:リッツホテルの警備担当(アンリ・ポール)
助手席:ボディーガード(トレバー・ジョーンズ)
後部座席
(向かって右):恋人のドディ・アルファイド
(向かって左):ダイアナ元妃
バイクで追走する取材陣が後を追う中、
コンコルド通りを抜け、パリ市内の道路を走り抜けるダイアナ妃の乗った車。
車は、時速180キロで走行。取材陣を引き離す。
※画像はパリ・コンコルド通り。
事故当時は深夜。
▽午前12時26分
アルマ橋のふもとにある事故現場「アルマ橋トンネル」へ入る。
アルマトンネルで、運転手アンリ・ポール氏がハンドルのコントロールを失う。
バランスを崩したまま、13番目の支柱へ激突。
フランス警察当局の公式見解より。
運転手アンリ・ポール、ドディ・アルファイド両氏は死亡。
ダイアナ元妃は午前4時病院で死亡。
リース・ジョーンズ氏のみ生還。
その後、ダイアナ元妃が死の6時間前に11月には一切の公的活動から引退する決意を電話で同紙王室担当記者に語っていたことを明らかになった。
事故の原因を巡る経緯
▽パリ警察は、7人のパパラッチを重要参考人として拘束。
事故から二時間後、パリ警察は執拗に追跡していたパパラッチ(フリーの報道関係者)7人を重要参考人として拘束。
▽パリ警察は、7人のパパラッチを重要参考人として拘束。
▽フランス政府、原因を「運転手のアンリ・ポールの薬の服用と多量のアルコールの飲酒による」と訂正
▽1999年、事故再調査するも、原因は変わらず
▽「ダイアナ謀殺説」が浮上
▽2003年、イギリス政府はダイアナ妃死亡事故の再調査
イギリス検察当局も再調査を開始。
事故車をイギリスへ輸送し、英科学捜査の専門家らによって調査。
最新のコンピューター技術で、衝突時のトンネル内での車の動きを再現し、事故原因などを検証。
▽2006年、ロンドン警視庁(イギリス)「謀殺の証拠は無く、これ以上の調査は不要」とする調査を公表
http://matome.naver.jp/odai/2131458049989047101